まえがき 共著・訳者・監修者 鈴木 智也

カンヌライオンズ審査員によって共同執筆された世界で初めての書籍。 本書は広告・ブランド・宣伝担当者・CM プランナーなどマーケティ ング・ブランディングに携わる方が新しいチャレンジをするためのテキ スト・参考書として活用いただくために生まれました。一気にすべての 章を読む必要はありません。また本書で取り上げられている世界を動か した様々なケーススタディへのリンクをまとめています。 ぜひサイトだけでも、ご覧ください。

はじめに

はじめまして。STORIESの鈴木智也と申します。 博報堂で広告・マーケティングの仕事や、博報堂DYメディアパート ナーズ、メディア環境研究所での研究を経て、ジョージ・ルーカス、ロ バート・ゼメキスなども卒業したハリウッドの映画大学院USC School of Cinematic Artsに留学、2011年STORIESという会社を仲間と共に設 立しました。

STORIESは博報堂DYグループとSEGAなどから出資を受けたコンテ ンツと広告、そしてブランデッドエンターテイメントの企画制作会社で す。東京とロサンゼルスの2拠点で、ブランデッドエンターテイメント、 ミュージックビデオ、CM、ドラマなど多くのプロジェクトを制作してい ます。マリオットホテルのアクションフィルムTwo BellmanやSUBARU のYour story withシリーズ、安室奈美恵さん、宇多田ヒカルさん、三浦 大知さんのMVなど日米で多くのプロジェクトをお手伝いさせていただい ています。

さて広告業界の私が、みなさんに告白しないといけないことがありま す。 私は先日、Netflixで「梨泰院クラス」を16話、わずか2日間で一気に 見終わりました。2日間で16時間強です。起きている間はほぼこのドラ マを見ていたということになります。そして私はその2日間、広告に一 秒も接触していないのです。さらに言えばNetflixやAmazon Videoなど で広告に触れずに楽しんだコンテンツとその時間は数え切れません。こ れは広告業界にとって由々しき事態です。

公然の秘密

私たちがNetflixなどのアドフリープラットフォームでコンテンツを 楽しむ本当の理由はなんでしょうか? 「エレファント・イン・ザ・ルーム(部屋の中の象)」と言う慣用句が あります。重大な問題なのに、皆が見て見ないふりをしているような状 況の事です。「広告」は飛ばせるなら、飛ばしたい。これはコミュニケー ション産業に関わる、ほとんどの人が実は課題と認識しているのに、声 を上げてこなかったポイントなのではないでしょうか。テレビドラマを 見ていたら、良いところでいきなりブツっと、ドラマが止まり、ドラマ の内容と直接関係のないコマーシャルが2分から3分流れ、そしてまたド ラマに戻る。エンターテイメントを楽しみたいユーザー体験として、果 たして優れていると言えるでしょうか。Netflixなどの配信サービスでは 基本的にはドラマの途中でコマーシャルで止められることはありませ ん。広告で遮られないという特徴が受け入れられているのではないで しょうか。

何よりもブランド・マーケティング・広告産業で働く私たちにとって 脅威的な事実は、広告の入らない動画配信でドラマやコンテンツを1日 の間に例えば10時間イッキ見した生活者(私も含めて)は、その間広告 に一切触れていないと言うことです。生活者の時間は限られています。 音楽であれば、スポティファイやApple Music、Amazon Music、動画 であればNetflix、Amazon、Disney+、Hulu、Apple TV等、サブスク でアドフリーに慣れた観客達が、従来の広告ありのプラットフォームに、 理由なく戻ってくると考えるのは、楽観的すぎるのではないでしょうか。

確かに日本における地上波には依然マスメディアとしての高い到達力 があるのは事実です。2019年の上半期のゴールデンタイム、全世帯の 58.6%がテレビを見ているという数値(総世帯視聴率)があります。しか しピークの1997年には71.2%あった数値が下がってきているのも事実で す。情報・コンテンツの量が飛躍的に増大し、20年前に考えられなかっ たメディア環境の変化がコミュニケーション産業を飲み込もうとしてい ます。

観客時間戦争

生活者は広告の有無を含めて、様々なプラットフォームから提供され る大量のコンテンツ・情報から選び取り楽しむ選択権を持っています。 ドラマ、バラエティー、映画、音楽、舞台、ライブ、ニュース、動画、 写真、どのコンテンツを、どのプラットフォームから視聴・体験するの かを決めるのは観客なのです。

ブランド、広告のコミュニケーションの競争相手は、もはや競合ブラ ンドだけではなく生活者の前にある、ありとあらゆるスクリーン、そし てイベントなど実体験で展開される、すべてのエンターテイメント・コ ンテンツだと言える状況です。 今までは広告枠を買えば同時に観客の時間を買えていましたが、そも そも貴重な時間を売ってくれない観客やプラットフォームが出てきてい るということです。 もちろん広告ありのプラットフォームにも依然として大きな需要があ り続けるとは思います。しかし観客の時間は限られています。観客の時 間を奪い合う戦い、つまり「観客時間戦争」の時代が来ているのです。

ブランデッドエンターテイメント 「お金を払ってでも見たい広告」

この時間獲得競争時代にブランドが観客の時間をいただくための新し い手法論が「ブランデッドエンターテイメント」です。「ブランデッドエ ンターテイメント」って一体どんなプロジェクトのことなのか? 一言で 言えば、エンターテイメントコンテンツにブランドのメッセージを乗せ て顧客に届けるものです。つまり観客が貴重な時間を使ってエンターテ イメント性のあるコンテンツやプロジェクトを視聴、体験した結果、ブ ランドメッセージの伝達、ブランド好感度の向上、商品購買などが達成 される、ブランディング・コミュニケーション手法です。

そして最高のブランデッドエンターテイメントは、「お金を払ってで も見たい広告」だと思います。

2001年にBMWが、ガイ・リッチー、トニー・スコット、アン・リー、 ウォン・カー・ワイなど著名監督陣を起用し、15億円以上の制作費をかけて、ウェブムービーシリーズ、BMW Filmsを製作し、特設サイトで 公開し大きな話題になりました。メディア費用をかけずに、多くの観客 にBMWブランドの価値をアクションエンターテイメントフィルムを通 じて、伝えることに成功したのです。(さらにテレビでも通常の映画と して放送されました。) このプロジェクトを起点に広告業界ではブランデッドエンターテイメ ント手法で様々な挑戦が続いてきました。 それはテレビドラマか、長編映画か、ウェブムービーか、ドキュメン タリーか、イベントやテーマパークかもしれません。形はなんでもあり です。

全世界で500億円以上の興行収入を稼いだ、レゴ・ザ・ムービーは究 極の成功事例の一つです。観客はお金を払って、レゴによるレゴのため の映画を見て、レゴがさらに好きになり、帰りにレゴを買っているかも しれません。企業が制作したウェブムービーがテレビドラマとして地上 波で放送されることもあります。視聴者は直接お金を払ってはいません が、ドラマの間にCMを見ていれば、実質的にはお金を払っているのと 同様です。企業が制作した映画が、サンダンス映画祭に公式出品され Netflixで配信される例もあります。AppleがiPhoneだけで撮影した感動 の短編動画をつくり、観た人の多くが共感し、さらにそのコンテンツを 共有していく。観客はそのコンテンツを楽しんだと同時に、こんな映画 が撮影できるiPhone って凄い!と共感するのもエンターテイメントを 活用したブランディングです。こうしたブランドが制作した短編映画の 中には多くの場合メディア費用をほとんどかけていないにもかかわら ず、YouTubeで数百万回から一億回以上の再生を獲得するようなプロ ジェクトもあります。

広告がエンターテイメント性をもったコンテンツとして、生活者、観 客の貴重な時間をいただく。プロジェクトのクオリティー、エンターテ イメント性が高ければ、お金を払って広告を見てもらえるかもしれませ ん。エンターテイメントとブランドメッセージが掛け算になって観客を 楽しませながら、同時にブランドの課題を解決することはできるはずで す。そのためにはこれまでのように消費者・ターゲットと考えるのでな く、まずはエンターテイメントを楽しもうとする観客、つまりオーディ エンスと捉えなおし、オーディエンス・ファーストのアプローチでコミュ ニケーションしていくことが重要になってきています。どのコンテンツ をどこで見るのかを選ぶ権利は観客が持っているからです。

今メディア環境は激変しています。サブスク・ストーリーミング時代、 大量情報・コンテンツ時代に、ブランドは生活者からどのように貴重な 時間をいただき、メッセージを届けていくのか。その一つの手法論とし て2020年の今、さらにブランデッドエンターテイメントという手法の重 要性が増してきています。

カンヌライオンズ審査員による世界で初めての書籍

私は幸運にも2017年にカンヌライオンズのブランデッドエンターテイ メント部門の審査員として、事前審査を含めるとおそらく200時間以上、 合計1000以上の世界中から集められた優れたプロジェクトを見て、体験 し、そして各国から集まった広告・コンテンツ・コミュニケーションの プロフェッショナル達とカンヌの暗い会議室で6日間、濃い議論をかわす機会をいただきました。

審査員の内、15名の有志が、広告に携わる皆さんのためにその体験と 学びを共有するために執筆したのが本書『ブランデッドエンターテイメ ント』です。カンヌライオンズの審査員が一体、何を考え、何を議論して、 何を評価したのか、そして過去の優れた受賞プロジェクトを作り出して きたクリエイターたちへのヒアリングによる解説も含めて深い洞察が分 かる、今のところ世界で唯一の書籍になっています。

世界でどのような革新的なプロジェクトが生み出され、ブランドの課 題を解決しているのか、優れたプロジェクトやそのプロジェクトの背景 にある意図や設計を分析すること、そして世界中の専門家たちのこの分 野に対する知見が「広告の未来」のための参考書としてまとめられてい ます。

様々な条件・制限を乗り越えて、とるべきリスクを取り、このブラン デッドエンターテイメントという新しい手法へ挑戦し、マーケティング 業界を革新してきた、世界中のプロフェッショナルの生の声と興味深い ケーススタディが満載です。受賞プロジェクトの数々のチャレンジング な舞台裏のストーリーを含む具体的な企画・制作・実施の細かいプロセ スまで網羅され、自分たちにも、きっとできると勇気をくれる内容にも なっているはずです。

カンヌライオンズ審査員による初めての書籍として執筆された本書 は、控えめに言っても各章に広告・宣伝・マーケティングに携わるみな さんにとって、変化を生き抜いていくための、あらゆるヒントが詰まっ てると思います。

コロナショックによって、サブスクプラットフォームの伸長などメ ディア環境変化がさらに加速しています。広告・コミュニケーション業 界は本質的に、挑戦を続け、変化の中で新しいものや考え、文化を生み 出してきた産業です。単に強い種ではなく変化に適応した種が生き残れ るということであれば、私たちはこの変化を嘆くのではなく、受け入れ、 抱きしめ、業界や会社の垣根を超えて団結し、共創していくことが大切 だと信じています。

日本からも、エンターテイメントにあふれたブランドプロジェクトが 増え、そして世界でも評価されるプロジェクトを次々と生み出していく ために、ぜひ皆さんに私たちの学びを少しでも共有したいという強い思 いで、日本語出版を進めさせていただきました。

20名の審査員の仲間たち、そして世界で初めてのカンヌライオンズ審 査員による書籍出版まで素晴らしいリーダーシップでみんなを導いてく れた審査委員長のPJ・ペレイラさん、さらに翻訳・下訳の大部分を担 当いただいた有本真優さん、校正やウェブサイトを担当してくれた長谷 川カラムさん、素晴らしいカバーデザインを担当いただいた武田雲さん、 執筆中に多くのサポートをしてくれた当社STORIESのメンバーのみな さんをはじめ多くの方々に感謝します。またこの出版に向けて全力で並 走・サポートいただいた宣伝会議の篠崎さん、浦野さん、本当にありが とうございました。

ぜひ、マーケティング・広告・コミュニケーションに携わる、日本の プロフェッショナルのみなさんの役に立つ一冊になると嬉しく思います。

また本書で取り上げられているケーススタディへのリンクなど、一部 のプロジェクトを実際に確認できるウェブサイトをご用意しています。 実際の優れたブランデッドエンターテイメントの事例を見て、そのプロ ジェクトの舞台裏や企画の意図、結果を確認しながら、本書をお読みい ただくことで、圧倒的に理解が深まると思います。

ぜひ合わせてご覧いただき、活用いただければと思います。 brandedentertainment.jp * 鈴木智也 2020年6月 *サイト運営・期間内容などにおいて保証するものではないことをご了承ください。

番組などコンテンツを中断して広告を流す時代は終わった。 では、次は何が起こるのだろうか? 本書『ブランデッド・エンターテイメント』を通して、 PJ・ペレイラと広告・コミュニケーションのエキスパートたちが、 根本的な変化の先に何が待つのか教えてくれるだろう。

―Dr Bjoern Asmussen ビョーン・アスムセン博士 オックスフォード・ブルックス大学 マーケティング学上級講師

ʻA must-read in case you want to answer “senator, we run great content” instead of “senator, we run ads during a congressional hearing”.’

議会公聴会で上院議員から どのようにサービスを無料で提供しているのかと質問された、 フェイスブックCEOのマーク・ザッカーバーグは 『上院議員、私たちは「広告」を配信して(稼いで)いるのです』 と答えたわけだが、 『上院議員、私たちは素晴らしい「コンテンツ」を お届けしているのです』 こう答えたいあなた。この本は必読書だ。

―Fernando Machado フェルナンド・マチャド Burger King グローバルCMO

謝辞

カンヌライオンズは、劇場広告のフェスティバルとして1954年にイタ リア、ベネチアで始まった。第1回の出品数は、14ヶ国から187点。60 年の時を経て、このイベントは大きく成長してきた。拠点をフランス・ リヴィエラに移し、新たな形態の広告・コミュニケーションを取り込ん できた。そして審査員は世界中から集まり、審査カテゴリーは20以上の グループにまで増加し、クリエイティブ・コミュニケーション産業にお いて最も重要なイベントになったのである。

60年以上も、審査室では数多の知識が共有され、視点や結論を議論し、 発展させてきたにもかかわらず、本書はカンヌライオンズの審査員から 出版された歴史上、最初の書籍だ。

私の推測では、過去にも審査員となった何人かは書籍化を考えたこと があるかもしれないが、審査後、世界中に散らばった広告界のリーダー からのアイデアをまとめるのにかかる労力を考え、躊躇してしまったに 違いない。私たちの場合は、これらの障壁を乗り越える向こう見ずとも 言えるような勇気が、業界のためにという責任感から生まれたのだ。パレ・ ド・フェスティバル・エ・デ・コングレ(カンヌライオンズの会場)で私た ちが議論してきた分野は非常に重要で、多くの学びを含んでいたため、 審査員の誰もが自分たちだけに留めておくのはあまりにもったいないと 感じていた。だからこそ、著者たちだけではなく、この計画を支援して くれたすべての人が、本書が世に出るのを心待ちにしていたのだ。

まず、本書の各章あるいは複数の章を執筆してくれた、素晴らしいチー ムから紹介しよう。私からの嵐のようなメール、電話、メッセージ、し つこい修正依頼の数々にも耐えてくれた、サム、リカルド、ガボール、 マルセロ、モニカ、キャロル、ミーシャ、ジュールズ、トアン、トモヤ、 ペレ、ジェイソン、ルチアーナ、マリッサ。私がそうであるように、皆 がこの成果を誇りに思ってくれていることを願う。そしてアル・マキッ シュ、アマンダ・ヒル、ジュリアン・ジェイコブス、ティム・エリス、 スティーブン・カリフォヴィッツ。あなた方は今回執筆に参加できな かったが、審査員の一員として、自分の考えや審査での発言内容がきち んと反映されているように感じてもらえたらと願う。

また、この素晴らしいメンバーを集めてくれた、カンヌライオンズの テリー・サベージ、フィル・トーマス、リサ・ベルリンと、私たちの終 わらない討論をまとめてくれたティファニー・スポーデンとそのチーム にも、感謝しなければならない。

本書の発行は、さらに多くの人々の助けを必要とした。Pereira O’Dell からは、表紙(原著)をデザインしてくれたモーセス・ケラニーと補佐のオーウェン・ブライ。そして、多くの著者を擁する本書の複雑な法関 連を管理してくれた、デニセ・コラッザ、ラス・ナドラー、クリスティー ナ・ハドリー。本の最後にケーススタディのリストをまとめてくれた、 Fremantle Mediaのジャスミン・ゴゼルフ。VML South Africaのチー ムのアーンスト・ラス、ハンス・リエベンバーグ、ヘイリー・モンゴメ リー、ハンネス・マッシーセン、ロキ・マガーマンは、なんとリストに 載っている作品をウェブサイトで見られるようにしてくれた。

最後に、本プロジェクトを完成させるうえでの課題ではなく可能性を 信じ続けてくれた、出版社のPeter Owenのチームのニック・ケント、 アントニア・オーウェン、サム・オーテスとサイモン・スミスにも、切 に感謝を伝えたい。

以上が、カンヌライオンズの審査員による世界で最初の書籍を支えて くれた、すべての人たちだ。誰も挑戦して来なかった中で、このプロジェ クトを実現できるだろうという私たちの純粋な思いを、あなたたちの情 熱と熱意が埋め合わせてくれました。みなさんに大きな感謝をささげま す。

初めてのことを成し遂げたのは私たち全員なのです。

編者まえがき PJ・ペレイラ

誰もテレビコマーシャルを見たことがない世界を想像してみてほし い。一つのテレビコマーシャルもない。まだコマーシャルが発明されて いない世界である。すると、ある人がCMO(マーケティング責任者)で あるあなたに、このように売り込んでくる。「あなたの製品にとって、 とても良いアイデアがあります。メッセージを広く伝えるために、テレ ビ局にお金を払い、視聴者が見ている番組を一瞬止めてもらいましょう。 そこに広告を流して、そして通常の番組に戻ってもらいましょう!」

まともな考えを持ったブランドが、このような最悪のユーザーエクス ペリエンスを活用したがるだろうか?

いまだにこの手法を取り続ける唯一の理由は、それが悪いものだとは 全く気づいていない時代遅れの人間が、一定数存在しているからである。 しかし皆、徐々に気づき始めている。そして実は、先ほどの仮の登場人 物であるCMOのように、最近まで広告というものを見たことがない世 代までもが存在しているのだ。

実は、同じことが私にも起こったのだ。

それはまるで、大きな地震に揺り起こされたかのようだった。私はサ ンフランシスコのベイエリアに住んでおり、大地震には現実的な恐怖が ある。目を開けると私の鼻先には、11歳の息子、フランシスコの顔があっ た。ここからが重要なポイントだ。息子は私の肩に手を置き、急いで私 を起こして何かを伝えようとしていた。 「お父さん、広告はなくさないとだめだよ」 「なぜ?」私は尋ねた。 「だって、うっとうしいからだよ」彼は答えた。 子どもには、当たり前のことを正直に純真に表現する能力がある。だ からこそ、それは無視できないのだ。 そして、私たちはフランスのカンヌライオンズ国際クリエイティビ ティ・フェスティバルにやってきた。ここで私は後に本書の共同執筆者 となる仲間に出会ったのだ。

おそらくカンヌライオンズは、世界最大かつ最も有名な、ブランドア イデアのコンペティションでありアワードだ。2017年も、新鮮なアイデ アに飢えている数多くのCMOや広告・広報担当役員を含む、1万人以 上の広告、クリエイティブ、コミュニケーションのプロフェッショナル が世界中から参加した。彼らはカンヌのパレ・デ・フェスティバルのホー ルや部屋で各界のクリエイター、専門家、テクノロジスト、マーケター たちと交流していた。そして私たちの部門ブランデッドエンターテイメ ントを含む、23部門の勝者を見守っていた。5年目になるこの部門は、 何度かその名前を変えてきた。「ブランデッドコンテンツ」、「ブランデッ ドコンテンツアンドエンターテイメント」、そして現在の「エンターテ イメント」部門だ。この新しい部門はカンヌライオンズ、そして広告業 界の真の将来の姿であると考える人も少なくはない。

ここ10年間、カンヌライオンズの審査員たちによって、マーケティングの進化は記録されてきた。過去の受賞作を見ることで、テクノロジー、 デザイン、PR、メディア思考といった要素を、私たちが、いつプロジェ クトやストーリーに取り入れ始めたのか知ることができる。そして単に どのような媒体で配信されていたかだけではなく、こうした新しいプロ ジェクトやアイデアが、どのようにターゲット、観客に受け入られたの かも詳細に理解できる。つまりどのように私たちが新しい手法を受け入 れ、クリエイティビティの新たな表現やストーリーの新鮮な伝え方を活 用してきたのかを、知ることができるのだ。もちろんこうした新しい手 法は良い取り組みだが、十分ではなかった。それこそ、息子のフランシ スコが地震の如く私を揺り起こしてまで、分かってほしかったことなの である。

今起きている広告ビジネスにおける最も根本的な変化は、私たち自身 の手によるものでも、新たなフォーマットや領域から生まれているわけ でもない。その変化は、私たちが広告の分野でやってきたことからでは なく、消費者から、テック企業家から、そしてエンタメ業界のエコシス テムの変化からもたらされたのだ。広告ビジネスの基礎である人々の時 間を買うという行為は、時間の持ち主である消費者がそれを売ろうとし ていないのなら何の意味もないということに、気づいたのだ。調査会社 Nielsenの「従来型テレビ産業の現状」というリサーチによると、2012年 から2017年にかけて、アメリカの18~24歳の年齢層におけるテレビ視聴 は週におよそ10時間減少し、史上最低の視聴率に達した。5年の間にこ の年齢層の従来のテレビ視聴時間の半分近くが、他の活動やストリーミ ングに移行した。

突如として常識はくつがえり、新しい世界が現れたのだ。

YouTubeからNetflix、Twitch、そしてiTunesに至るまで、あらゆる オンデマンドサービスが世に出てきている。これらが恐ろしい勢いで拡 大し、広告がかつて存在した場所を消していくにつれ、私たちの広告プ ロジェクトは自分自身がコンテンツになる以外の選択肢がほとんどなく なっているとも言える。広告プロジェクトが(最新の番組、ビデオゲーム、 YouTuberの動画などに勝ち)、「再生ボタン」を押してもらう価値を持 たなければ、まだ広告スペースを買えるが、縮小していくメディアの中 に消えていくことになってしまうかもしれない。

また、変化しているのはオーディエンスだけではない。タレント、ク リエイター、そしてコンテンツの内容も変化している。例えば、2017年 のエミー賞を見てみると、26のトロフィーのうち、半分は全く広告サポー トのないプラットフォームの作品に与えられた。また、残りの13のうち 5つは、一部にしか広告のないHuluの作品に授与された。ハリウッド が広告主のお金を必要としなくなれば、ブランドは声を、つまりメッセー ジを聞いてもらうために最も大事な機会を失うだろう。あるいは少なく とも、今まで使い慣れてきた手段は失われるだろう。

カンヌライオンズが広告および広告戦士たちの戦いにおける最前線な らば、ブランデッドエンターテインメント部門は私たちの抵抗の象徴で あり、希望である。この新たな領域においては、ブランドはメッセージ を届けるために世界にあふれる映画、テレビ、YouTubeコンテンツを 含む様々なオリジナルコンテンツ、つまり「アンブランデッド」コンテンツと競争しなければならない。今までこの業界が直面してきた中で最 も高いクリエイティブのハードルだ。そしてブランデッドエンターテイ メントは未だ不確実な領域であり探求するほどに発展していく世界でも ある。この分野における制限やルールは何なのだろうか?それは私たち の審査という判断により、少しずつ解き明かされていくことかもしれな い。

それを決めるのは、この20人の審査員のグループ次第だった。それは 私たちが最も賢明で最も知識があるからではなく、縁あって審査員の集 まるその部屋にいたからである。誤解はしないでほしい。このグループ は一人ひとりが非常に熟達しており、集団としての私たちは何世代も残 り続けるような称賛を受けてきたプロフェッショナルだ。しかし私たち の選択が重要になったのは、各審査委員の過去や経験のおかげではなく、 私たちが予備審査から含めて千以上の圧倒的の数のプロジェクトを見て 一緒に議論してきたという事実によるものだった。一つ一つの応募作品 を、まるごとすべて。何日もの間、食事や睡眠のための短い休憩を挟み ながら。それから、どの作品が特に素晴らしいか、自身の心と脳みそに 問いかけながら、議論を続けたのだ。

私たちは最初から、人々に「教える」ためではなく、むしろ業界を代 表して「聞き、学ぶ」ために審査員の椅子に座るという認識で、合意を した。それによって、世界最高レベルの広告会社の数々が制作した何千 ものアイデアを通して、私たちが見て感じたことを共有できるように。 このように考えたことで、私たちは目標を常に意識しながら、広告・ク リエイティブ業界をより向上させていく方法を教えてくれるような、イ ンスピレーショナルで刺激的なプロジェクトを、受賞作に選出していく ことができた。

本書はその経験と、私たちが学んだことの本質の結晶である。

しかし、より長く本書が価値を持つためには、その年の受賞作の話を するだけでは十分ではない。カンヌライオンズが終わった後、私たちは 審査期間に議論し、吸収した事柄や学んだ結論を、さらに深く広く過去 の受賞作のみならず受賞歴のないプロジェクトにまでわたって考察し た。私たちのミッションは、こうした学びを様々な事例に合わせ、現在・ 過去・未来における、消費者の時間を引き付けるためのあらゆる新しい プロジェクト、取り組みに応用できるようにすることである。いわば「ブ ランデッドエンターテイメントのタイムマシン」として活用してもらい たい。

あなたが本書を気に入ってくれることを願う。

本書はパート1:ニーズ(必要性)から始まる。ここでは各プロジェ クトの実例に基づき、ブランデッドエンターテイメントがブランドに対 し貢献できることに焦点を当てている。Anheuser-Busch InBev(バド ワイザーなどを保有する酒類大手)傘下のメキシコGrupo Modeloの CMO リカルド・ディアスと、Red Bull Media Houseの元エンターテイ メントコンテンツ部長のガボール・ハラチの章からスタートする。彼ら 2人は、このブランデッドエンターテイメントの空間の定義と、それが マーケティングミックスに与える事象について掘り下げている。次に、 Burger Kingのグローバルブランドマーケティング部長マルセロ・パス コアが、単に時間を「買う」のでなく時間を「獲得」しなければならない ということが、広告業界にとって、どのような意味を持つのか、深く考 察している。最後に、大手広告・タレント会社であるPMK・BNCの COOであるモニカ・チュンが、ブランデッドエンターテイメントはコ ンテンツそのものであるだけでなく、多くの場合それが生み出すニュー ス価値をも、もたらすということについて、彼女の考え方を共有してく れる。

パート2:ブランデッドエンターテイメントの技術(The Art of Branded Entertainment)では、書名にもなっている通り、本書の 中心的テーマを取り上げている。まず、広告主、ブランドが観客・消費 者のエンターテイメント体験の中に自分たちの存在をどのように感じて もらうのかという大きな課題から始める。大手クリエイティブエージェ ンシーBBHのグローバルCCO 1ペレ・シェネールと、VML(同様に大 手広告会社)、VML Europe・Middle East・AfricaのCVO 2兼CCOであ るジェイソン・ゼノポラスは共に、「プロダクト・プレイスメント」から 「ブランド・プレイスメント」と呼ぶものに広告主が移行したら何が起 こるかについて、知見を共有する。この「ブランド・プレイスメント」は、 このパートの全ての章に影響を与える核となるアイデアでもある。続い て、STORIES(日本・米国に拠点を持つクリエイティブ・ブティック) のCEO鈴木智也は基本に立ち返り、エンターテイメントの核となる、 物語、ストーリーテリングの基本原則について解説する。彼はブランド が持つアイデアをより効果的に観客に伝えるために、ブランデッドエン ターテイメントプロジェクトが、ハリウッドのストーリーテリングの基 本原則を活用する重要性について、ハリウッド映画から広告プロジェク トまで様々な事例を取り上げながら解説している。実際、これらの原則 の一つが明らかに重要であるため、ペレ・シェネールによる『緊張感を 高める』という専用の章で、さらにストーリーの要素について取り上げ ている。フィクションのストーリーにおいて緊張感が大切なのであれば、 ノンフィクションにおいては一層重要である。今日、緊張感を生み出す ためにはドキュメンタリープロジェクトで現実世界を見せることが最善 の方法だと信じる、多くのマーケティングのプロの欲求に、ガボール・ ハラチは個人的な経験を基に、ブランドは実話に根ざしたストーリーで どのように差別化できるのかについて、彼の見解をシェアしてくれる。 最後に、ペルーのLatina MediaのCCOであるルチアナ・オリヴァレスは、 クリエイターの動機や感情、とりわけ「怒り」によって、ブランドやそ の主張がどのようにして、オーディエンスの人生を変えるようなコンテ ンツに生まれ変わるのか、彼女の刺激的な考えを共有する。

パート3:未来のチャンスでは、業界における受賞作や優秀な作品全 体の中で、今後伸びていく分野のプロジェクトについて解説している。まずは大手メディアエージェンシーであるMediaCom Sport and Enter tainmentのVP ミーシャ・シャーが、スポーツは究極のエンターテイメ ントにもかかわらず、ブランドがこの分野で素晴らしいプロジェクトを 追求しきれていないことに、大胆に切り込んでいる。ブランドはこの分 野では競争に参加しておらず、これは業界全体にとって損失であると鋭 く指摘している。続いてドイツのクリエイティブエージェンシー、Jung von Matt/SPORTSのパートナーであるトアン・グエンが、私たちにス ポーツだけではなく、多様なスポーツ、特にeスポーツの重要性を分か りやすく解説する。eスポーツは現在大勢の観客とスポンサーを惹きつ けているが、他のスポーツ関連プロジェクトで生み出されるような創造 性に欠けているようだ。そして大手メディアエージェンシーOMDの多 文化コンテンツマーケティングおよび戦略的パートナーシップ担当取締 役のマリッサ・ナンスは、リサーチやデータ・ドリブン、配信技術をブ ランデッドエンターテイメントプロジェクトに掛け合わせていく方法に ついて説明する。

最後に、パート4:ビジネスでは、ブランデッドエンターテイメント のビジネス的側面に注目する。最初はRSA Films(リドリー・スコット による映像制作会社)の社長ジュールズ・デイリーが、ストーリーを魅 力的にするハリウッド流の方法をひもとき、続いてハリウッド大手芸能 エージェンシー、ICM Partnersのブランデッドエンターテイメントの グローバル責任者キャロル・ゴールが、タレントやアーティストにとっ てのブランデッドエンターテイメントプロジェクトへの参画メリットに ついて解説する。消費者と同じく、ブランドにも目的やニーズがあるが、 ブランデッドエンターテイメントプロジェクトのパートナーシップの成 功のためには、携わるアーティストのニーズの考慮が重要となるのだ。 続いてのテーマは、ローカルからグローバルへ、キャンペーンからシー ズンへ規模が拡大する機会と現状である。ここでは大手番組・コンテン ツ制作会社である、フリーマントルメディアのサマンサ・グレンがいわ ゆる通常のエンターテイメントビジネスと同じようにオーディエンスを 集客する手法と、ブランドや広告会社が学ぶ方法について解説する。さ らにアンコールに応えジェイソン・ゼノポラスが再び登場し、カンヌラ イオンズの最大の受賞作のいくつかが、マーケティング業界の目立って いない死角から、あるいは大きな予算を持たないマーケターや国々から どのように現れるのか分析している。彼はこれを「ブランドの忍術」と 呼んでいる。この解説を読めば、大胆なプロジェクトやイノベーション は注目度の最も低いプロセスや小さなグループから生まれることについ て、半分は驚きだが半分は当然と思えるだろう。

本書の締めくくりは、カンヌライオンズのブランデッドエンターテイ ンメント部門審査委員長を務めた、私PJ・ペレイラ(Pereira O’Dell ファ ウンダー兼CCO )が担当する。まとめとして、今年のプロジェクトや過 去の受賞作のいくつかが、どのようにアイデアや戦略を有効に活用し、 実際に使われた予算よりもずっと価値の高いプロジェクトを実現したの か、その舞台裏を解説する。

オーケー、一呼吸おこう。

これからお読みいただく本書は本当に盛りだくさんの内容だと気づい てもらえたと思う。圧倒的な量と質の情報、ニュアンス、分析、予測が 詰め込まれている。暗い審査室に閉じ込められ、私たちを楽しませる多 くのブランドのプロジェクトを見た1週間と、その後そこで発見し、学 んだことを熟考した数ヶ月間から生まれたアイデアの結晶だ。ぜひ、慌 てずにゆっくりと吸収して欲しい。時には本書を置いて世界を見回して、 じっくり考えるのだ。本書は一度に読まれることを意図していない。ま た、多くの章が同じケーススタディに言及しているが、それは全ての受 賞作を一つの角度から深く考察するよりも、複数の角度から分析する価 値があるからである。15名の審査員、業界のプロフェッショナルたちが、 それぞれの知見をベースにじっくりと分析、編集された本書ならではの 意義がそこにあると思う。

最初に述べた通り、広告・クリエイティブ業界を代表して学ぶことが 私たちの目標ならば、今後、革新的かつ効果的なプロジェクトを生み出 していくことが、読者であるみなさんも含めて、私たちのやるべき宿題 でありプロジェクトである。本書を読むことでブランデッドエンターテ イメントに関する幅広い観点と様々な実践されたアイデアを一気に手に 入れることができる。つまりこの本は、疑問と思考のプロセスを刺激し、 みなさんの独自の考察を導く教科書にもなる。ブランドメッセージとエ ンターテイメント性との適切なバランスはどう考えるべきか。あらゆる ブランドキャンペーンよりずっと多くの予算が投下されるエンタメ業界 の中で、際立つアイデアを生み出すにはどうすればいいだろうか。そも そも予算が限られている中でできることは他にないのか。パートナー シップか、共同著作か。自立拡大するパイロット的なアイデアからスター トすべきか。長編のフォーマットか、効果的な短編か。ブランデッドエ ンターテイメントならではのオリジナルエンタメ業界の「競合」が持た ないブランドマーケティングの責任がある中で何をどうバランスをとり ながらプロジェクトを成功に導くのか。答えのヒントになる情報が本書 の各章にあるはずだ。

私たちマーケティング担当者および広告会社の人間は、数十年にわた り定着してきた広告業界の仕事の、最も重大な変革を、まさに経験して いる最中だ。まだ全ての答えは手に入れることはできないかもしれない が、自分たちの先入観に基づいた理論を押し付けるのではなく、成功し た最高のプロジェクトたちをひもとくことで、大切なポイントはきっと、 明らかになっていくだろう。

本書は、フランスの暗い審査室に1週間閉じ込められたこの集団の一 人ひとりの視点を提示している。私たちはそこで、プロジェクトが単に 良いだけなのか、素晴らしい出来なのかを容赦なく議論し、その理由も しっかりと理解しようとした。私たちの仕事に対する見方を大きく変え たこの経験と15名の審査員の視点の共有が、みなさんの今後のプロジェ クトの役立つヒントになることを願っている。

各章はそれぞれの著者が個々に執筆している。そこにはカンヌライオ ンズで共に見たものだけでなく、マーケティング担当者、クリエイティ ブ、メディア、タレントエージェント、映像プロデューサー、パブリッ シャー、ネットワーク、スポーツやゲームの専門家や技術者としての各々 の経験から得た学びも含まれる。したがって、それぞれの意見が異なり、

時には食い違っているが、それは良いことだと考えている。それぞれの 声が独立することで、グローバルな面も含む豊かなプロセスの、ニュア ンスをより正確に表現することができる。各著者たちは南アフリカ、イ ギリス、ブラジル、アメリカ、ロシア、メキシコ、ペルー、日本、ドイ ツなど、様々な地域から集まっているからだ。

この本はすでに完成、視聴、審査、記録されたプロジェクトをベース に語られている。それらは教えを与え、参考になることも多いだろうが、 みなさんが次に取り組むプロジェクトに完全には当てはまらないだろ う。 新しいプロジェクトを作り出すのは、みなさんの仕事なのだ。 みなさんがこの広告・クリエイティブ業界を改革、前進させる番なの です。

本書を楽しんでくれることを願って。

PJ・ペレイラ カンヌライオンズエンターテインメント2017審査委員長 2018年 サンフランシスコにて

*企業名・ポジション名は全て各著者の執筆時のもの。

ブランデッドエンターテインメントとは…

  1. ブランドがプロデュースするエンターテインメント
  2. 飛ばしたくならないような広告
  3. エンターテインメントを邪魔するのでなく、観客に求められるために 作られたマーケティング
  4. ブランドの金銭的投資・観客の時間的投資の両面で投資対効果の 高い広告
  5. 「見させる」ために時間を買うのではなく、観客を魅了して「思わず見た くなる」広告

PART 1 THE NEED (ブランデッドエンターテイメントの必要性)

1. デジタルボーンキラー(デジタル世代は既存広告を殺すのか?)
ブランデッドエンターテイメントがブランドのためにできること

リカルド・ディアス Anheuser-Busch InBev ガボール・ハラチ Consultant, 元 Red Bull Media House

この章を執筆し始めたのと同じ頃、世界規模で(もしくは宇宙規模で)、 ブランデッドエンターテイメントの持つ力を変えたであろう出来事が起 こった。イーロン・マスクが率いるSpaceX社製、ファルコンヘビーロケッ トが、フロリダ州のケネディ宇宙センターから打ち上げられたのだ。そ のロケットには彼が率いるもう一つのブランド、Tesla製の赤い電動ス ポーツカーが載せられていた。この打ち上げのささやかな目標は、太陽 (や火星)の周りを、何百万年と周回すること。スポーツカーの座席に 座らされたマネキン「スターマン」はSpaceXの宇宙服に身を包んでいた。

その映像は、YouTubeをはじめ、あらゆるところでライブ放送された。 息を呑むような、テクノロジーとマーケティングの力を、彼は見せつけ たのだ。そしてそれは同時に、美しかった(実際に映像を見れば、その 意味が分かるだろう)。デヴィッド・ボウイの楽曲『Life on Mars? 』が、 ゆっくりと回る青い地球を背景に、スペースカーのラジオから流された。 その歌は、まさにこの美しい瞬間のために作られたかのように思われた。 しばらくの間、私たちを含め多くの人がYouTubeでスターマンの映像 を見ていた。それは、Red Bullのアスリートが2012年にスペースジャン プをした様子(レッドブル・ストラトスプロジェクト:成層圏から実際 に生身の人間がダイブした、あのプロジェクトである)のオマージュに も見えた。これは、今後何百万年と残るマーケティング映像なのだろうか?これはテスト飛行だったのか、それとも真のスペースミッション だったのか?それとも、イーロン・マスクが、ただ自身の力を見せつけ たかっただけなのだろうか?おそらく、これらすべてが正しい答えだろ う。そして、説得力のある教訓を私たちに教えてくれた。マーケティン グの入り口は、今や以前よりずっと高くなっているだけでなく、マーケ ティング活動そのものがブランドとなるほどにまで変わってしまったよ うだ。 スペースカーの打ち上げの次の日、Teslaは「“四半期単位で”史 上最大の赤字」を報告した。しかしTeslaの株価は、まるでマスクのロケッ トのように上昇し続けた。そしてほんの数週間後、エナジードリンクメー カーのRed Bull社が、Audiの月面探査車ルナ・クワトロを用いて、2019 年に月に到達するミッションを発表した。文字通り、空が人類の限界だっ た時代は終わり、舞台は宇宙にまで拡張された。

この章では、私たちはブランドについて探る探偵になってみるつもり だ。ますます複雑に、日々変わっていくマーケティングミックスの一つ として、ブランデッドエンターテイメントが果たす役割に焦点を当てて いく。そして、顧客を従来の広告やコマーシャルから遠ざけた犯人であ る「ボイド(無効状態、つまり視聴者不在状態)」の正体を検証し、その 背後にある原因を突き止めたい。

誰が、もしくは何が、私たちのよく知る従来の広告を「殺してしまった」 のだろうか?心してくれ。長い旅になりそうだ。

私たちの探偵物語はカンヌから始まる。1年のほとんどは、そこはビー チと宮殿のようなホテルを持つ、フレンチ・リヴィエラの静かなリゾー ト地だ。しかし年に一度、広告のすべてが集まるグラウンドゼロ、爆心 地となる。そう、そこが私たちの捜査現場だ。

ニーズ(必要性)

「私たちの審査員としての務めは、世界や目の前のあなた方に、ブラ ンデッドエンターテイメントとはこうであったという考えを伝えること ではない」。カンヌライオンズ2017のエンターテイメント部門の受賞式 で、2000人以上の参加者が固唾をのんで見守る中、審査委員長のPJ・ ペレイラは語った。「我々は、ここ数年の間、我々自身がクライアント に売り込もうとしてきたものと似たような作品を評価したわけではな い。我々は、皆さんの代わりに学び取り、『ブランデッドエンターテイ メントとは何か』ではなく『何になろうとしているのか』を理解しよう、 という謙虚な姿勢で審査員の椅子に座ったのだ」。

この章の著者である我々2人も、それを探す旅に参加した。そして、 掴みづらいが洗練された、そして進化を続ける「ブランデッドエンター テイメント」という用語を学び、検証して、理解しようとしてきた。PJ や他の審査員たちとともに、私たちは6月半ばのフレンチ・リヴィエラ にて、パレ・デ・フェスティバル・エ・デ・コングレとして知られる巨 大なコンクリートの建物の奥深く、暗く窓のない審査室で、有意義な時 間を過ごした。審査室は、凍るような空調と、一層冷たい食べ物で悪評 高い(カンヌライオンズには申し訳ないが、この噂は両方とも正しかっ た)。ただ、時には白熱した議論の中で、私たちの頭を冷やし、考えを 研ぎ澄ましてくれた。審査室を後にする頃には、私たちは例の大きな疑 問に対するヒントをいくつか見つけていた。しかし、ブランデッドエン ターテイメントが何になろうとしているのか、完全に理解するには、ま ずそのニーズを説明し、以下2つの根本的な疑問に答えなければならな かった。

この章の終わりには、素晴らしいブランデッドエンターテイメントが どのようにして作れるかについて、いくつかのアイデアを紹介する。よ り具体的な方法については、本書のパート2『ブランデッドエンターテ イメントの技術(The Art of Branded Entertainment )』を楽しみにして ほしい。探偵小説風に言い換えるなら、この章では主に動機、殺害方法、 チャンスに触れていこうということだ。

さてまずは、なぜ多くの人が広告を避けるようになってきているのか その点から考えていこう。

オンデマンドのライフスタイル

私たちがどのようにコンテンツを消費するかは、ライフスタイルと密接に かかわっている。私たちは今、オンデマンド経済(もしくは共有社会)の中 に生きている。オンデマンドで街を移動し(Uber、Lyft、Zipcar)、出会い (Tinder、Bumble、Raya)、音楽を聴く(Spotify、Apple Music)。家もオ ンデマンドで掃除してもらい(Handy、Hux、Whizz)、食事もオンデマンドだ(Uber Eats、Deliveroo、Caviar)。そして、コンテンツもオンデマン ドで視聴する(YouTube、Netflix、Amazon Prime Video)。ほとんどすべ てのものに対して、便利なアプリが存在する。私たちはサービスを評価し 体験を重視して、自分から求めていないものや偶然目に入るものに割く 時間を減らしている。まさに求めているものや、求めている瞬間に対価 を払い、必要ないもの(テレビチャンネルを含む)にお金を払うことを ますます拒むようになっている。ケーブルテレビの契約を切り、広告ブ ロッカーを使っていくにつれ、「ボイド(視聴者不在現象)」が生まれ、従 来の広告プラットフォームは置き去りにされている。PJ・ペレイラが 本書のまえがきで述べたような、まるで地震に遭ったかのような衝撃を 家庭内で感じたのは彼だけではない。この章の著者の1人であるリカル ドもまた、今やコマーシャルがどれほど家族に嫌われているか、身をもっ て実感した。家族の中でもとりわけ若い世代、いわゆる「デジタル世代」、 もしくはさらに強烈な流行りの表現を使うなら、「デジタル生まれ」の家 族に敬遠されているのだという。

アニメが消えちゃった!

数年前、リカルドと家族は、年末の祭りのために母国のブラジルへ帰っ た。彼らはトランコーゾに向かった。ここは国の北部に位置する、美し く人里離れたビーチで、500年以上前にポルトガル人が初めて植民した 地域にとても近い。ヒッピー風だがシックなそのビーチは、ここ20年で 劇的に発展したものの、彼らが休暇用に借りた場所にはインターネット は繋がっていなかった。よってリカルドの4歳の娘は、古き良きローカ ルのテレビ放送を見るほかなかった。それは彼女にとって初めての体験 だった。

1日目の夜、リカルドと妻が友人たちと夕食をとっている間、リカルドの娘はココナッツアイスを食べながら、隣のリビングのテレビでブラ ジルのアニメ番組を見ていた。すると突然、「お父さん!」と娘が叫んだ。 何か起こったのだと思い、リカルドがすぐにその部屋に向かうと、娘は 腹を立ててテレビの方を指し、彼を見ていた。そしてリカルドに、「ア ニメが消えちゃった」と不満げにつぶやいた。リカルドはテレビに目を やると、娘に向き直って、しぶしぶ口を開いた。「これはコマーシャルっ ていうんだよ」。

ボイド(視聴者不在現象)

辞書によると、“Void(ボイド)”とは「何かを失ったことで生まれる欠 落」であると記されている。

これをマーケティング用語に言い換えてみよう。すると、ボイドとは 「消費者が広告に対する関心を失ってしまったことによる、視聴者の不 在」であると言える。結果として、視聴者はケーブルテレビのような従 来の媒体を離れてしまう。これが「コードカッティング」と呼ばれる現 象だ。米国を中心に多くの世帯・個人は有料のケーブルテレビパッケー ジで本来無料の地上波放送を含めて様々な有料多チャンネルを視聴して きたが、その有料ケーブルテレビ契約を解約することがコードカッティ ングと呼ばれている。リカルドの娘のような若い世代の一部は、「デジ タル生まれ」であるあまりに、従来型のテレビ放送を見たことさえない。 彼らは「コードネバー」なのだ。

私たち2人は過去10年間大きなブランドと働く中で、進みゆくボイド の危機に対抗する戦略を練るほかなかった。

ボイドへの対応策

ボイドへの対応策 ブランドコミュニケーションについて考えるとき、マーケティング担 当者が心に留めておくべきことは、顧客(ロイヤル顧客と潜在顧客)が そこに何を求めているかということだ。今その答えは明確で、人々はも う邪魔をされたくないのだ。テレビ番組コンテンツを見たいときに、商 品を売りつけられたくないのである。しかし、いつの時代も変わらない ことが一つある。それは、「人は楽しませてもらうこと(エンターテイメ ント)が好き」ということだ。

消費者は依然として、特定のニーズを解決する製品やサービスを求め ている。人々はブランドからの情報をいまだに必要としているのも事実 だからこそ、その時間を価値あるもの、つまり楽しめるものにする余地 はある。

私たちの論理的な解は、「ブランデッドエンターテイメントによって ボイド状態を解決しなければならない」ということである。他の成功へ の戦略の数々もそうだが、この方法は言うだけなら、実際成し遂げるよ りずっと簡単に聞こえるが、そんなことはない。消費者の習慣はこれま でにない早さで変化しており、観客は非常に捉えづらい存在になってい るからだ。

解決策を探るためにもまずは従来の広告を「殺害」してきたこの謎多 きボイド(視聴者不在の現象)をより深く考察してみよう。ライフスタ イルの変化が、ボイドへの動機を生み出し、その方法とチャンスはテク ノロジーが生み出したにほかならない。一つずつ見ていこう。